第28回全日本高等学校女子サッカー選手権大会が2020年1月3日(金)に開幕します。高校日本一を決する大会に出場した選手はどのような青春時代を過ごしてきたのか。ここではなでしこジャパン(日本女子代表)でキャプテンも務める熊谷紗希選手の高校時代のストーリーをお届けします。
インタビュー前編~高校入学直後にポジションをつかんだ~熊谷紗希選手(オリンピック・リヨン)
インタビュー中編~高校時代から天性のキャプテンシーを発揮~熊谷紗希選手(オリンピック・リヨン)
成長を続け、最後の高校選手権へ
高校女子サッカー界の名門、常盤木学園高校(宮城)で1年次からレギュラーとして活躍し、2年次にはなでしこジャパンに招集、3年次にはチームのキャプテンに就任と、高校生活の中で順調に成長を遂げてきた熊谷紗希。同級生や後輩にも有望な選手がそろった理想的とも言える環境の中、3年夏の全日本高等学校女子サッカー選手権大会に挑むことになる。
「夏の選手権と冬のU-18(全日本U-18女子サッカー選手権大会)で優勝するのが私たちの目標でした。冬の大会は毎年、優勝できていましたが、夏は取れていなかったので、3年の夏は絶対に優勝したかったですね」
その言葉どおり、熊谷は在学中、U-18女子選手権では1年次、2年次ともに優勝する一方、夏の選手権では1年次が準優勝、2年次が準決勝敗退と、頂点には届いていなかった。常盤木学園自体も2002年に初優勝を飾って以来、熊谷が入学した2006年まで4年連続準優勝と悔しい結果が続いており、阿部由晴監督も「取りたい大会だった」と強い意気込みを見せていた。
1回戦で東京都立晴海総合高校(東京)に3-0と勝利すると、2回戦は福井工業大学附属福井高校(福井)に11-0と大勝。準々決勝は藤枝順心高校(静岡)に6-0、準決勝は日ノ本学園高校(兵庫)に4-1と強豪を次々に下し、前年度王者、鳳凰高校(鹿児島)との決勝に挑む。
圧倒的な攻撃力で勝ち上がってきた常盤木学園だったが、鳳凰高校との決勝ではボールを支配しながらもなかなか相手の守備網を崩せず、苦しい戦いを強いられる。
「相手にやられるという感覚はなく、むしろ自分たちのプレーができていました。8割5分ぐらいはボールを持っていたと思うんですが、なかなか点が入らなくて……。『このままPK戦で負けたらどうしよう』という試合でした」
熊谷がそう振り返ったとおり、試合は前後半の70分間、さらには20分間の延長戦でも決着がつかず、PK戦に突入する。
悲願の高校タイトルが残したもの
「熊谷とPK」というと、思い出されるのは2011年のFIFA女子ワールドカップ決勝アメリカ戦だろう。延長戦までもつれ込む激闘は2-2でPK戦に突入。アメリカは3人、日本は1人が失敗し、3-1で迎えた4人目、当時20歳の熊谷がキックを成功させて日本が世界の頂点に立った。
この時ゴール左上という難しいコースへのキックを決めているだけにPKは得意かと思いきや、熊谷本人は「あまり得意ではない。率先して蹴りたいタイプではないです」と語る。選手権決勝でも4人目のキッカーを務めることになったが、この時は相手1人目のキックをGK齊藤彩佳(現マイナビベガルタ仙台レディース)がストップしたのに対し、常盤木学園は1人目から全員が成功。「外してもまだ次があるという余裕があったかもしれない」状態で蹴った熊谷も冷静に決めると、5人目まで全員が成功させ、同校2度目の選手権制覇を達成した。
「(決勝が行われた)ヤマハスタジアムの雰囲気は今でも思い出せます。1年生の時、あのスタジアムでの決勝で負けたこと(藤枝順心に1-2)が頭に浮かんでいて、『今度は勝ちたいな』と思っていました」
熊谷は決勝の思い出をそのように振り返った。一方、阿部監督にとってはこの優勝が別のステージを目指すきっかけになったという。
「選手の意識は高かったし、うまかったけど、あの選手権ではこちらが求める質と意識のレベルがうまく発揮できなかった。だから『優勝してうれしい』より『もっとやらなきゃ』という気持ちになり、それが後のチャレンジリーグ挑戦につながっていくんです」
キャプテン熊谷とともに勝ち取った選手権のタイトルは、常盤木学園を新たなステージに導くきっかけになった。そして、熊谷自身もここから大きな飛躍を遂げていくことになるのである。
インタビュー前編~高校入学直後にポジションをつかんだ~熊谷紗希選手(オリンピック・リヨン)
インタビュー中編~高校時代から天性のキャプテンシーを発揮~熊谷紗希選手(オリンピック・リヨン)
第28回全日本高等学校女子サッカー選手権大会
大会期間:2020/1/3(金)~2020/1/12(日)
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